楷書を学ぼうとして法帖をみていると、北魏時代や隋代の楷書に挑戦してみたくなる方も多いのではないでしょうか。

「張猛龍碑」や「高貞碑」「元楨墓誌銘」などこの時代の楷書作品は多くあります。

 ところで、「張猛龍」「高貞」「元楨」は人の名前ですが、その後についている「碑」と「墓誌銘」はどう違うのでしょうか。

今回は「碑」と「誌」の違いについてお話しましょう。

 大まかに言えば、地上に建てるものを「碑」と。地中に納めるものを「誌」と呼びます。さてその碑と誌について詳しくみてい

きましょう。

 「墓誌銘」という字面をみると、「墓」という字があることからお墓に関係するのだということは容易に想像できるでしょう。

「墓誌銘」の意味は「お墓に誌した銘文」ということです。では、「碑」はお墓に関係ないのでしょうか。「碑」はもともと「方形の

たてた石」という意味で、そこに文字を刻んだものが漢代盛んに作られました。様々な碑の中で最も多く作られたのが頌徳碑

で、これは徳を称えるために建てられたものです。碑は墓上に建てられるものもあれば、そうでないものもあります。墓誌とは

いっても墓碑とあまりいわないのは、「誌」は墓中に置くことに限定されているのに対して、「碑」は墓上以外にも建てられるこ

とがあったからです。墓誌は必ず死後に作られるものであるのに対して、碑は生前に作られる場合もありました。

 多くの碑は死者のために建てるのではなく、実は建碑者の孝を表す手段として建てられました。自分が如何に孝行者である

のかを示そうと、後漢末期には過度に装飾を施した碑が次々に作られました。行き過ぎに歯止めをかけるため、碑を建てることを

禁止したほどです。ちなみに最初に禁止したのは、あの曹操(注)です。

碑に代わって出てきたのが、「誌」すなわち「墓誌銘」なのです。

地上に頌徳碑が建てられなくなったため、頌徳のために碑に似せたミニチュアの石が登場しました。銘文を刻んで柩の傍に安置

した石が墓誌銘の始まりです。安定感をよくするためにたてていた石を寝かせて置く形式に変わっていきました。

隋のころには蓋も作られ、二枚の石でワンセットになりました。唐代以後はこれが定型になりました。


   注:『三国志』の中にでてくる人物。魏・呉・蜀に分裂する以前、後漢最後の皇帝である献帝に丞相として仕えた。

     赤壁の戦いで負けたのは有名。

碑の名称

碑には方碑(頭部が角ばっているもの)

と円碑(頭部がまるいもの)があります。

これは円碑の例ですが、名称は方碑も

同じです。

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第三回 “碑”と“誌”の違い ~墓誌銘の意味~