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第五回  中国の歴史トリビア -西から東へ移動する王朝ー


 今回は、知っておくと役立つかも?というちょっとした知識をお話しましょう。

 中国で最も時代が長い王朝は漢です。漢王朝は、劉邦が長安に都を定めた前漢と、劉秀が洛陽に都を定めた後漢に
分かれています。前漢のことを西漢、後漢のことを東漢ともいうのはご存じでしょうか。

都の置かれた位置からこう呼ぶのです。

中国の歴史を振り返ってみると、遷都をした王朝がいくつかありますが、ほとんどが西から東に移動しているのです。

 漢から遡ってみると、殷王朝を放伐によってできた周王朝、この王朝も、最初は西安(当時の名称は鎬京)に都を置いていましたが、平王の時に洛陽(当時の名称は洛邑)に遷都しました。

遷都前を西周、遷都後を東周といいます。

 書聖といわれる王羲之が生きた時代は東晉ですが、その前には西晉という時代があります。

晉は周や漢のように西から東に遷都したのではなく、地理的には北から南に移っています。

洛陽に都があった時を西晉、南京(当時の名称は建業)に都が移ってからを東晉といいます。

地図上は北から南へ移った晉王朝ですが、名称は東から西へと変わっているのです。このように、中国の王朝は、前・後という表現よりも東西という動きを重要視した表現を好んで用いたのです。

 時代が下って宋代になると、北宋・南宋という表現を使いますが、宋王朝は中国全土を統一した王朝ではなく、異民族に中国の一部を占領されていました。

北方からどんどん異民族が侵入し、南へ南へと追いやられたことから、卞京(現在の河南省開封市)に都があった時を北宋、

臨安(現在の浙江省杭州市)に都があった時代を南宋と呼びます。

因みに、統一王朝として南方の南京に都を置いた明は、国が安定した永楽帝の時、北京へ都を移しています。

唯一、南から北へ遷都した王朝といえるでしょう。(最初に掲載した年表を参照してください。)

 
中国の王朝は西から東、北から南という動きが基本ということを覚えておくと歴史を考える上で何かと便利です。

 中国は古くから黄河流域を中原と言って、この地域がいわゆる中華でした。

「東西」とはこの中で移動していることであり、「東奔西走」という言葉もこうした背景から生まれました。

一方で、「南船北馬」という表現があるように、南北の移動は中国では文化的な違いを含んだものだったのです。

現代中国語でも、あちこちで産出されるものということから、品物を指して東西といいます。

「私は買い物をする」は中国語で「我买东西(ウォーマイトンシ)=我買東西」となります。機会があったら、使ってみてください。