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岡本苔泉遺墨展

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岡本苔泉遺墨展

令和3年7月20日(火)~25日(日) 愛知県美術館8階

1臨張猛龍碑 2009年 69×170

唯仁是依。栖遲下庭。素心若雪。鶴響難留。淸音遐發。天心乃眷。

2臨道因法師碑 2005年 239×88×2

大哉乾元。潘物垂象。肇有書契。文籍生焉。雖十翼精微。陰陽之化不測。九流沈奥。仁義之塗斯闡。而勞生蠢蠢。豈厭塵門。闇海茫茫。恆漂苦浪。亦有寶經浮説。錦籍寓詞。駕鳳升雲。驂龍棲月。跡均轉縷。空溺志於邪山。事比繋縄。詎知方於覺路。孰若訓昭/金口。道秘瓊箱。靜痡毒於三漏。拯横流於五濁。是生是滅。發蓮花之音。非色非空。被栴檀之簡。曁乎鶴林税軫。涅槃之岸先登。鳥筆記言。摠持之菀斯闢。結集之侶。揚其實諦。傳受之賓。弘其妙理。然則紹宣神典。(幽)贊玄宗。跨生肇以遐鶱。

3王維詩「新晴野望」 2000年 165×78×2

新晴原野曠、極目無氛垢。郭門臨渡頭、村樹連溪口。白/水明田外、碧峰出山後。農月無閒人、傾家事南畝

4杜甫詩「秦州雜詩其七」 1982年 137×36

莽莽萬重山、孤城山谷閒。無風雲出塞、不夜月臨關。屬國歸何晩、樓蘭斬未還。烟塵獨長望、衰颯正摧顔。

5李商隱詩「茂陵」 2007年 230×79

漢家天馬出蒲梢、苜蓿榴華遍近郊。内苑只知銜鳳觜、屬車無復插鷄翹。玉桃倫得憐方朔、金屋粧成貯阿嬌。誰料蘇卿老歸國、茂陵松柏雨蕭蕭。

6陶潜詩 「歸園田居其五」2005年 228×49

悵恨獨策還、崎嶇歷榛曲。山澗淸且淺、可以濯吾足。漉我新熟酒、隻鷄招近局。日入室中闇、荊薪代明燭。歡來苦夕短、已復至天旭。

7韓愈詩「感春其三」 1987年 225×51

晨游百花林、朱朱兼白白。柳枝弱而細、懸樹垂百尺。左右同來人、金紫貴顯劇。嬌童爲我歌、哀響跨箏笛。艷姬蹋筵舞、淸眸刺劍戟。心懷平生友、莫壹在燕席。死者長眇芒、生者困乖隔。少年眞可喜、老大百無益。

8陶潜詩「飲酒其六」 2018年 232×53

行止千萬端、誰知非與是。是非苟相形、雷同共譽毀。三季多此事、達士似不爾。咄咄俗中愚、且當從黄綺。

9臨李柏尺牘稿 2017年 226×53×2

五月七日海頭西域長史關内侯李柏。頓首頓首別來順不去心。今奉臺使來西月二日到海頭。此未知王消息。想国中平安王/使廻復羅從北虜中興嚴參事往。想是到也。今遣使符大。往消息。通知消息。書不悉意。李柏頓首頓首。

10陶潜詩「飲酒其十」 2018年 233×52

在昔曾遠遊、直至東隅。道路迥且長、風波阻中塗。此行誰使然、似爲飢處驅。傾身營一飽、少許便有餘。恐此非名計、息駕歸閒居。

11詩経・鄭風「大叔于田」 2016年 233×49

叔于田、乘乘馬。執轡如組、兩驂如舞。 叔在藪、火烈具舉。襢裼暴虎、獻于公處。叔將無狃、戒其傷女。

12陶潜詩「擬古其九」 2011年 233×53

種桑長江邊、三年望當採。枝條始欲茂、忽値山河改。柯葉自摧折、根枝浮滄海。春蠶既無食、寒衣欲誰待。本不植高原、今日復何悔。

13韓愈詩 「調張籍」 1990年 228×53

李杜文章在、光焰萬丈長。不知群兒愚、那用故謗傷。蚍蜉撼大樹、可笑不自量。伊我生其後、舉頸遙相望。夜夢多見之、晝思反微茫。徒觀斧鑿痕、不矚治水航。想當施手時、巨刃磨天揚。垠崖劃崩豁、乾坤擺雷硠。

14陶潜詩「庚戌歳九月中於西田穫早稲」  2013年 233×53

山中饒霜露、風氣亦先寒。田家豈不苦、弗獲辭此難。四體誠乃疲、庶無異患干。盥濯息簷下、斗酒散襟顔。遙遙沮溺心、千載乃相關。但願常如此、躬耕非處歎。

15臨太常帖 2017年 165×42

適太常、司州、鎮軍諸人廿五六書、皆佳。司州以爲平復、此慶慶可言。餘親親皆佳。大奴以還吳也、冀或見之。

16臨豹奴帖 2016年164×42

羲之頓首。昨得書問、處疾尚綴綴、既不能眠食、深憂慮。懸吾情、至不能不委。嫂故不差、豹奴晚不歸家

17李賀詩「嘲少年」 1986年 224×53

少年安得長少年、海波尚變爲桑田。

18韓愈詩 「秋懐詩其一」 不詳 136×35

胡爲浪自苦、(得酒且歡喜。)

19永和 2013年 179×97

20山崎方代歌 2005年 134×34

こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

21石川啄木歌 2010年 136×35

北の海鯨追ふ子等大いなる流氷來るを見ては喜ぶ

22石川啄木歌 2013年 138×35

よごれたる煉瓦の壁に降りて融け降りて融くる春の雪かな

23石川啄木歌 2017年 96×171

瞑りゆく胸に無限の威 (ちから) とはず暮るる野雲を古調にほこる

24石川啄木歌 2016年 73×173

ほうきぼし玉座につかずかの虚空翔る自在を喜びて去る

25石川啄木歌 2018年 73×173

かず知れぬくれなゐの鳥白の鳥君をかこめり花の散る時

26安永蕗子歌 2012年 104×96

到りつくいづくも闇と知るわれのまたうば玉の墨磨りはじむ

27石川啄木歌 2012年 69×172

山こえて何地 (いづち) 追ふべき星の影追うてはてなき路に立つ身や

28島崎藤村文「藤村詩抄」自序 2004年 26×712

遂に、新しき詩歌の時は來りぬ。そはうつくしき曙のごとくなりき。あるものは古の預言者の如く叫び、あるものは西の詩人のごとくに呼ばはり、いづれも明光と新聲と空想とに醉へるがごとくなりき。うら若き想像は長き眠りより覺めて、民俗の言葉を飾れり。傳説はふたたびよみがへりぬ。自然はふたたび新しき色を帶びぬ。明光はまのあたりなる生と死とを照せり、過去の壯大と衰頽とを照せり。

新しきうたびとの群の多くは、ただ穆實なる靑年なりき。その藝術は幼稚なりき、不完全なりき、されどまた僞りも飾りもなかりき。靑春のいのちはかれらの口脣にあふれ、感激の涙はかれらの頬をつたひしなり。こころみに思へ、淸新横溢なる思潮は幾多の靑年をして殆ど寢食を忘れしめたるを。また思へ、近代の悲哀と煩悶とは幾多の靑年をして狂せしめたるを。われも拙き身を忘れて、この新しきうたびとの聲に和しぬ。詩歌は靜かなるところにて思ひ起したる感動なりとかや。げにわが歌ぞおぞき苦鬪の告白なる。なげきと、わづらひとは、わが歌に殘りぬ。思へば、言ふぞよき。ためらはずして言ふぞよき。いささかなる活動に勵まされてわれも身と心とを救ひしなり。誰か舊き生涯に安んぜむとするものぞ。(おのがじゝ新しきを開かんと思へるぞ、若き人々のつとめなる。生命は力なり。力は聲なり。聲は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり。われもこの新しきに入らんことを願ひて、多くの寂しく暗き月日を過しぬ。

藝術はわが願ひなり。されどわれは藝術を輕く見たりき。むしろわれは藝術を第二の人生と見たりき。また第二の自然とも見たりき。あゝ詩歌はわれにとりて自ら責むるの鞭にてありき。わが若き胸は溢れて、花も香もなき根無草四つの卷とはなれり。)われは今、靑春の記念として、かかるおもひでの歌ぐさかきあつめ、友とする人々のまへに捧げむとはするなり

29島崎藤村詩「椰子の実」 2004年 26×231

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ 故鄕の岸を離れて 汝はそも波に幾月 舊の樹は生ひや茂れる 枝はなほ影をやなせる われもまた渚を枕 孤身の 浮寝の旅ぞ 実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂 海の日の沈むを見れば 激り落つ異鄕の涙 思ひやる八重の潮々 いづれの日にか故國にかへらん

30サムエル・ウルマン詩「靑春」松永安右衞門訳 不詳 26×444

靑春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。逞しき意志、優れた創造力、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒儉心、こう言う様相を靑春と言うのだ。年を重ね(る)ただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精氣ある魂をも芥に歸せしめてしまう。年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か、 日く、驚異への愛慕心、空にきらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想に對する欽仰、事に處する剛毅な挑戰、小児の如く求め止まぬ探求心、人生への歡喜と興味、人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。大地より、神より、人より、美と喜悦、勇氣と壮大、そして偉力の靈感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え,悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそひとは全くに老いて神の憐みを乞う他はなくなる。

31吉田満『戰艦大和ノ最期』 2009年 26×417

必死の途は擔々たり 死自體は平凡にして必然なり 死の事實の尊きはただその自然なるによるべし かの天地自然の尊ばるるごとくに されば我らが體驗を必死なる故をもって問ふことなかれ ただ問ひ給へ 我らがいかに職責を完遂せるか いかに的確に行動せるかを われ果たして己の分を盡くせしか 分に立ちて死に直面したるか いな唯々として死に屈したるにあらずや 特攻の美名にかくれ死の掌中に陶醉せしにあらずや 然り他なくわれ日常の勤務に精励なりしや 一擧手一投足に至誠を盡せしか 一刻一刻に全力を傾けしや われこれらすべてに過怠なりき しかも そのわれにかかる試錬を賜ひしは何ゆゑぞ 一たび死を與へられた 幸運を謝すべきか はたつひにわれより 死を奪ひ返し僥倖を謝すべきか かの時幽明の岐路間髪暗鬪のうちに逆行せばいかにわれを迎えへしもの死か かの暗く苦しく貧しきものまさに死なるや さはれ戰友あまたよりわれを別ち再び天光に浴せしめたるもの何ぞ 思ふべからず死われにかかはりなし 死わが身に近きときかへってわれより遠ざかり生安らかに全きとき初めて死に直面するを得べし 不断眞摯の生を措き死に正對するの途あるべからず虗心なれ この時をして常住獻身の轉機となせ

32臨鄭羲下碑 2004年 20面

榮陽鄭文公之碑 魏故中書令秘書監使持節督佞兗州諸軍事安東將軍兗州刺史南陽文公鄭君之碑。草。 公諱羲。字幼驎。司州榮陽開封人也。肇洪源於有周。昨母弟以命氏。桓以親賢司徒。武以善職並歌。緇衣之作。誦乎奕世。降逮干漢。鄭君當時。播節譲以振高風。大夫司農。創(解詁以開経義。)

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