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玉信の由来

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玉信の由来

さて玉信の由来であるがいつのことであろうか、一寸自分も記憶がはっきりしていないが会の名前はいわゆる会の顔であるからしっかりとした名前でなくてはとのことで皆さんから募集した、なかなかよいと思われるのが数種あったが結局この玉信がよかろうということになった。つまり日本の名筆空海・弘法大師の傑作風信帖の「信」と小野道風の玉泉帖の「玉」をとって順番からいけば信玉ということになるが信玉では一寸ごろが悪い。「玉信」にしてはとの意見でこれに決定することにした。つまり空海弘法大師のように、小野道風のようにあっぱれ能筆が輩出することを願って「玉信」と命名したわけである。その玉信会の発会が昭和26年、会員数20数名、その中には今の常任理事クラスが半数ぐらいいたろうか。爾来25年、今年の玉信展では会員300名、この中京地区においても決して恥ずかしくないまでに成長した会だと思う。「和」を中心にお互い切磋琢磨、研鑽につとめ邁進しなければならぬと思う。(昭和50年 玉信 創刊号より)

「一日一書」のまえがきより

「書は心画なり」。この語は漢の楊雄の書「法言」の中に見えている。また、唐の柳公権は時の穆宗から「筆何ぞ善を尽くす」と書法を問われた時「用筆は心にあり、心正しければ筆正し」と答えたという。わが国においても明治天皇御製「とる筆のあと恥ずかしと思ふかな心のうつるものと聞きては」とか、昭憲皇太后御歌「鏡にはうつらぬ人の真心もさやかに見ゆる水茎のあと」など思い浮かべる時、書はその筆者の心的状況、人間性をあらわすものである。古来聖賢の書に接することによりその人格にふれ、自己の書に対して反省の資料とし、少しでもその品格を高めることに留意してきた。かくして、学書は人間形成の上に大きな使命を果たしてきたことはわが国でも中国でも変わりない。しかしながら昭和20年の終戦を境とし、従来の書道観とは別に米国教育思潮の影響により実用主義に徹し、毛筆習字はややもすると、非実用的非現代的なものとしてうとんぜられ、さもなければ芸術至上主義に流れ、個々の字形や筆法がどうであろうと、全体としてのまとめとか、気分とか、調和などに腐心して、精神方面が忘れられたかの感がなくもない。もちろん実用書、芸術書がいけないわけではない。大いにこれが高揚には尽くさねばならないが、さらに精神面をも尊重し尊重し本来の正しい書道を顕現したいものである。(昭和47年10月「一日一書」まえがきより)

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